ふくとひれ酒

河豚とひれ酒

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 昭和26年に制定された「下関漁港節」に、「河豚のさしみにヒレ酒のんで、酔うて口説いた膝まくら」という粋な一節があるが、正に天下一うまい下関の河豚の刺身をさかなに、河豚のヒレ酒を飲んで陶然となり、しかも美人の膝枕というのであるから、もう極楽にでも行ったような気分であろうと思われ、酒客の願望が込められた唄として、酒席でもてはやされている。
 河豚料理が下関名物となったのは、豊臣秀吉が朝鮮出兵の時、兵士多数が河豚で中毒死したので禁食令を出したが、明治21年、長州出身の初代総理大臣・伊藤博文が下関の料亭春帆楼で食べ「一身よく百味の相」と賛美し下関だけを解禁したことによる。 河豚料理ではメインの刺身はもちろんのこと、煮コゴリ、チリ、唐揚げ、雑炊、どれ一つ取り上げてもうまいが、うまさの原点は河豚の身が備え持っている上品な淡白さにあると思う。刺身にしても、この淡白な味を生かすために、もみじおろし、わけぎ、ポン酢が活用されている。言わば役者を引き立てる衣装が大皿であり、もみじおろしや、わけぎもなくてはならぬ小道具である。
 河豚料理の中でも、特に食通の心をそそるのが、最高の味ともてはやされる白子である。この白子は実は雄の精巣であり、雌の卵巣に猛毒のトテロドトキシンが集中していることを考えると、雄の白子が無毒で美味なのが面白い。また昔の粋な食通が白子のことを中国絶世の美女「西施」を連想し、「西施乳」と名づけたのは、当時の人びとの学やウィットが感じられ、心憎い命名である。 中国の詩人:蘇東坡は河豚の味を激賞し、「一死に値す」と詠んだ。
 源平合戦の哀史を伝える関門海峡の潮騒を耳にしながら、河豚料理でヒレ酒を傾けることは、とりもなおさず、ストレス解消の最も効果的な秘薬ではあるまいか。
 
中原郁生
(元下関市立長府図書館長)
 

おいしいひれ酒

 こだわりの愛飲家、寒いときには熱燗のひれ酒に限る。
 ふぐのひれを根気よく焼き、熱燗にした清酒に浮かべてみる。しかし、香りも今ひとつだが、味もふつうの日本酒と変わらない。こんな経験はないだろうか。
 ふぐ料亭では、ひれ酒もその店の看板の味。おいしいひれ酒を造るには実はこつがあるらしい。しかし、秘伝の味、なかなか教えてはもらえない。 おいしい、ふぐひれの旨みを出すためには? 試行錯誤の結果、わかったことをここだけの話、お教えしよう。
 もちろん、新鮮なふぐのひれが必要だ。そのひれも、ひれを動かす、所謂エンガワの部分に注目せよ。ひれの先端より、付け根に旨みが隠れている。ヒラメのエンガワも、高貴な美味をもっている。寿司屋で食せばお代は時価である。 ふぐひれもエンガワごと焼けば、旨くなること請け合いである。しかし残念ながら、巷に流通するひれは、ほとんどひれ先の部分で、エンガワがたっぷりのったひれは、やはり、刺身を食した後の料亭でしか、手に入らないのである。
 では、いっそのこと、ふぐの身の部分を一緒に焼いて、究極のひれ酒を造ろう。 このコンセプトの元に、しらたき酒造のひれ酒開発がスタートした。昭和42年のことであった。
 単に流通しているひれを焼いて浮かべ、ひれ酒と称するものと、品質で一線を画す。元祖を名乗る所以でもある。

 

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